原水爆禁止世界大会へ
原水爆禁止世界大会へ小学校3年生になる息子と一緒に行ってきました。
色とりどり、千羽鶴の多さにびっくりしていた息子。僕の折った鶴もあるかなと見ていました。
原爆ドームを生まれて初めて目の前で見た息子、講師の先生から教えてもらった広島のピカドン(原爆)の話。「お母さん!戦争はいかんね」と言いました。私はこの息子の言葉が一番の思い出になりました。
広島を歩きながら碑をめぐり、63年前の原爆の惨劇の話をききました。中島町の約600mの上空で原爆が炸裂、全てを焼き尽くしました。当時、この中島町でたったひとり生き残った方がいました。地下室で仕事をしていて生き残った野村さんの証言の話では、晴天の綺麗な青空だったのが一瞬に真っ黒の空になっていたといいます。近くを流れる大きな川の水が天まで届きそうな勢いでグルグルと渦まいていたといいます。一瞬にして焼けて炭になった遺体の数々・・・。63年たった今でも原爆症、放射能の後遺症に苦しむ人たち、当時、小学生で被曝したおばあちゃんは、出産した赤ちゃんが全身紫色で生まれてきたといいます。今も障害をもつその子供さんと共に暮らしています。原爆は何年たっても人間を苦しめ続けています。世界から核兵器は廃絶することを強く思います。
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