短大時代の愛ちゃん
時が過ぎるのは早いですね! 歳はとるのに、私って変わってないな~と思うことがあります。
短大時代といえば、もう14、15年前なります。
高校から始めた柔道にのめり込んで柔道一色の高校生活が終わり、就職か進学か悩んだすえ、柔道ができることを条件に、神戸近くの三田市の湊川女子短大に進学しました。
この短大時代を共に過ごした親友が当時をふり返り、私の事を自身のホームページに書いていました。
2000年に書いてるようです。 後で紹介しますので、読んでみてください。
当時、花の女子大生生活をおおかしているクラスの同級生たちはきらびやかな衣装で授業にきます。先生の講義が終わったら、正門近くに彼氏たちのお迎えの車やらがずらっと!
田舎者の私は驚きの連続・・。
だって私は! 服装・・・ジャージ 靴・・・スリッパ 顔・・・すっぴん カバン・・・リュック(中身は柔道雑誌) 移動手段・・・ボロ自転車、JR 門限・・・夜7時(早すぎ!)
またもや、柔道一色の短大生活を送っていました。 現在でもたまに交流している親友との出会いもここでした。
親友が当時を思い書いたコラムを紹介します!
彼女(愛ちゃん)と初めて会ったのは高校時代の夏の合宿の時です
通称ゆめこ試合という練習試合中心の合宿があり、(今も年2回あります)選手は女子ばかりの道場でものすごくさわがしいのに一瞬まわりがひいちゃうぐらい試合ごとに先生に山程殴られている学校の少人数の選手の中に彼女はいました。
初めて話したのはその試合の時 対戦した結果を記録するためにノートを持ってきて 名前教えてもらえませんか?とやってきた時でした。
高校から柔道をはじめたらしく白帯で 体格は-48KGにしか見えない小柄な選手なのに頭はスポーツ刈りになってるわボコボコに殴られたアザが顔に残っててかなりインパクトのある選手でした!
そんな頭と顔ではあったけれど〈爆 なんか人なつっこくて好奇心旺盛なカンジのする
彼女とまた会えるかなと3年になる春の合宿と夏の合宿の時 楽しみにしていたんだけど その学校の女子は来ていなかったので あ あんまり殴られるからやめちゃったのかな 友達になりたかったのにな と思っていたところ なんとその後の進路が同じ所だったんです!
彼女とはそこの入試で再会しました。 同じ学科希望だったため同じ教室でテストを受けていたんです。
その時にはアザもなかったし髪も少し長くなってましたが私はすぐに彼女だと気付きました。
彼女も私の事をなんとなく覚えていてくれたみたいです。
少し話しをして 合格するといいねといいつつその日はそれぞれに実家のある方へ帰っていきました。
その受験した学校に合格し、3月に集合がかかったんで行ってみると彼女はいました。
どうやら前日地元でおわかれ会をしてもらったみたいなんだけど その時にどうやら
ラクガキをされたらしく 頬にうっすら、「なるとマーク」がマジックで書かれた跡が残っていました〈笑
寝ちょったら友達がラクガキしよったがよ
土佐弁で笑いながら話す彼女の陽気さがすっかり気に入った私はすぐに彼女と仲良しになりました。
そこで柔道部員として彼女と私は学校と練習と寮生活の毎日を数年すごしました
階級の離れてる子なんで練習中の事はあまり思いだせませんが、大幅な減量が私にはあり、彼女も軽量級だったんで監視役として彼女はよく減量につきあってくれました
(今思うと なんでもっとしっかりした知識を持って減量にのぞまなかったんだろう、滅茶苦茶でした どんなだったかはまた後日話します)
私の部屋に来て、 「食べたらいかんきね!」、 なんて言いつつ冷蔵庫アサって楽しみの一口ゼリーをつまんで帰っていくケースがほとんどでしたが〈爆
以前BBSで話に触れたけど まだまだ肌寒い4月か5月の始めの早朝に二人で有酸素運動だとか言って野外の50mプールで 時間で言うと1時間以上泳いでいた事が一度ありました。
笑い話の一つなんだけど ただでさえ減量中で体が寒がってるのにバカな事したんで寒くて凍えてしまって ガタガタふるえちゃって午前中の講義出れなかったっけ(自爆
あと 3コマ目に講義がなくて4コマ目が講義あってその直後練習だった日に、あまりにも体が冷えちゃってこれじゃ練習にならへんだろうからと、135ml缶というほんのひとくちのビールを飲んだら少しは温まるだろうし、練習までには飲んだのもバレないだろうと思って飲んだら ほとんど飲まず食わずで数日いたからか 普段は結構強いのにおもっきり酔っ払ってしまって〈自爆 講義中まわりがおとなしく講義うけてるのがおかしくておかしくて(悪酔いとはこういうものかと後で思いました)彼女(愛ちゃん)をバシバシ叩いてニヤニヤしていたそうです(その後急に眠たくなって寝てしまって、講義が終わりそうだからと目を覚ましたら頭がガンガンしました 二日酔いとはこういうものか とも思ったのでした) その後の練習が最悪だったのは言うまでもありません (--;
学校では同じクラスだったし、たまに部屋も同じになったんで一緒にいる時間は結構長かったように思います。
なんしかとんでもない田舎だったから、かなり不便だったし遊びたい盛りの時期だったんで、こっそり寮を抜け出して遊びに行こうとして、バレて二人して先生にえらい叱られた日もありましたが(爆
食事の当番なんかも一緒によくやりました。 私は当時何もできなかったんですが 彼女からいろいろ教えてもらったりしました。 中でも梅とツナとガーリックのパスタがおいしかったです! 今もたまに作ったりしています。 サンマの刺身というものがあるって事も彼女から教えてもらいました。 さっすが海の子!さばきも上手ですよ
丁寧というよりかは豪快ってカンジなんだけど(謎 創造料理系だったからたまに ??? みたいなのもありましたけどね〈笑 たいていはおいしかったです。
私たちの学校は近くになんにもなかったから、みんなで食べもの買いこんで、寮でよく酒盛りをしました。
土佐の女の子だけあって・・・ さほど強くなかったけれど(柔道界の強いってのは本当にザルのようにいくらでもOKよん みたいなカンジね 女でもそうなのです)
お酒慣れはしてました。 お酒は大抵杏露酒みたいなカクテル系からウイスキー・ブランデーまでなんかいろいろ飲んだな~ 体育会系の飲み方ってカンジだったけど
恋の話したり 将来の話したり 今ふりかえればとても楽しかったな~
その学校を卒業してもう何年かたちます 私が結婚した際は友人代表として涙ながらにスピーチしてくれてとても感動しました。 彼女は昨年結婚してこの春に男の子を出産しました おっちょこちょいでほっとけない彼女 苦労した事も知っているから 今電話の向こうから聞こえる彼女とその家族の幸せそうな声聞くと 自分の事のように幸せに思えます。
愛ちゃん どうかこれからももっともっと幸せになってください
お互いおちついたら またいっしょにお酒飲もうね♪
なんかあったら早めに電話ちょうだいね
これからも仲良くしてね!!!
コラムを書いた親友はもう二児のママ。娘たちは二人とも柔道教室に通っているようです。
これを読んで、いろんな事を思い出しました。
短大の柔道部は全員寮生活でした。 その入寮日、一列に集合した時、私は頬に「なるとマーク」額に「怒りマーク」 鼻の下には「鼻毛マーク」洗ってもキチンと消えてなかったようです。怖~い監督や先輩たちを前にして、とんでもない顔で整列している私の姿に同級生たちがクスクス笑いをこらえていました。 恥ずかしい思い出ですよね。あんな危険なことよくしたと思ってしまいます。