阪神大震災を思い出して・・・
阪神大震災を振り返って
1995年、15年前の1月17日早朝5時40分過ぎ、震度7の激震が神戸の町(県南部)を襲った。
当時、私は短大の2年生。倒壊した町のひとつ宝塚市のとなり三田市の湊川女子短期大学の柔道部の寮で生活していました。 有名な宝塚劇場があるのがお隣の宝塚市で学生の頃、たまに買い物や遊びに行ってた町です。
湊川学園は、90年の歴史を持つ学校です。名前のとおり設立当初大正8年には神戸の港の西部に湊川がありますが、現在はハーバーランドなどのレジャースポット付近に学校があったそうです。
湊川学園が兵庫県の北部の三田市に移った理由には、昭和13年に起きた阪神大水害が原因の大きなひとつです。(昭和15年に火事にあいその事もあり、神戸から三田へ)
在学当時の学園長の話からは相当な水害で町がのみこまれたといいます。その後、神戸の町を襲ったのが1995年の阪神淡路大震災・地震です。 6400名以上の命が失われ、街の崩壊と言う言葉が等しいほどライフラインが奪われてしまった状況は大水害の時も似ていたのではないかと・・・。
私が在学していた15年前は高校と短大が一体になっていて、学校も隣同士、柔道部にいたっては学校内の敷地に柔道部専用の寮が構えられていました。高校生も短大生も柔道部員は全員寮に入ることが決まりでした。私は最上級生ということで、部屋のリーダーをしていました。 二十歳のその年、地元高知で成人式をするから帰ってくるか?という話をお金がかかるし、卒業論文が出来てないからと断り、私は寮に残ることにしました。でも周りのほとんどの同級生は地元に帰ると言うことです。
その時、阪神大震災にあったわけです。
震災の起きた日は、高校生たちの全国大会出場をかけた、県の大会がある日でした。
私がいた部屋の構成メンバーは短大2年の私と短大一年生と大会出場予定の高校生二人です。
私は後輩を大事な試合に無事に送り出す役目がありました。
練習に疲れぐっすりと寝入っていた時、ドドドドッと部屋が鳴り揺れて目がさめました。普段から一旦寝入ると中々目が覚めることのない私でしたが・・・・。まだ寝ぼけた状態で枕もとの時計を観ると朝の5時45ごろでした。
なんぼ大事な試合があるからといっても騒がしい!と後輩に『うるさいけど何やってんの?!起きるには早いよ』
と言って私はまた布団をかぶりました。 それでもドンドンするので布団からそっと眠たい目を擦りながら、覗くと
なんと!豆電球の安い電気のかさがグルグル回っているのです。と同時に後輩は叫びます!『先輩!地震ですよ!早く起きてください』と・・。
飛び起きました! 窓の外の電柱が曲がり、景色が変ってしまっていました。
『先輩!これは普通じゃないですよ!』
誰かの指示があったわけじゃないが、唯一テレビのある食堂にみんなが集まっていました。
そしてテレビのニュースに騒然となりました。
神戸の町が火の海となっています。 神戸長田区と映像にテロップが流れたとき・・長田区に家族が住んでいた後輩は崩れるようにしゃがみ込み、異常な不安感から涙があふれています。隣で見ていた同級生がその子の肩を強く抱きしめ支えています。 部員のほとんどは関西近辺かきている人がほとんどで・・・。
テレビの前から離れることが出来ず・・・時間が止まった感じがしました。 見たこともない、戦場のような火の海、信じられない光景です。
すべてが止まりました。 生活のすべてが止まるのです。短大も休みとなりました。 皆、ひたすら家族や友達、大切な人の無事を願い続けました。 テレビからからは生存安否のニュースが流れます。「・・区・・町 00さん 死亡」と。 毎日のように死亡された方の名前がテレビやラジオから聞こえてきます。
三田市は家屋の倒壊など神戸のようなひどい被害は少なかったのですが、道路は寸断され、物資がとどきません。 女子といっても食べ盛りの柔道部員の食事を確保するのに大変でした。
大阪、神戸方面から逃げてこられてる車や人の渋滞。 ゆがんでいる線路をひたすら歩いて逃げてくる人々。
水は無事だった、私たちの寮のお風呂は民間解放となりました。
食べ物を仕入れるために、京都方面に監督が車を走らせす。
余震が続き恐ろしい時がやみません。 寝る時も枕元には常時、靴を置きリュックサックにはカップラーメンや非常食を詰め込みいつでも逃げれる格好でいました。 余震といっても半端じゃありません。底のほうから何かが突き上げてくるかのようなゴーゴーっという地響きと揺れがきます。 そのたび締め切りの迫った卒業論文のペンを掘り投げ、リュックを背負います。 その繰り返しで時間が過ぎます。
電話が使えない状態で安否確認さえできない状態が続いていました。
私も高知の家族に生きていることを伝えたいと、やっと繋がったのは二日たち三日目だったと思います。
まさに陸の孤島。
一生忘れられない出来事になりました。
そしてその夜には
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