『土佐の食卓』は宝と我が食卓
今年に入ってある所で『土佐の食卓』というお料理の本に出会いました。
これが普通の料理本とは違うのです。名前のとおり、土佐の食材、高知独特の料理がメインなのですが、食を文化としてとらえていて、季節感や歴史まで凝縮された貴重な本だと思いました。 いくつか私も作ってみました。
まず「しょうがご飯」などにチャレンジ! しょうがは今、流行と言われています、全国トップクラスの生産高を持つ高知の食材、しょうが料理のレパートリーを増やしたいと思いましてね・・。
料理が苦手な私でもなんとも、いい感じに作れるのです! うれしい~ お気に入りの本のひとつですね!
母から子へ、孫へ 残したい「土佐の食」が詰まった本です。 どうしても!この本をもっと深く知りたいと思って、作成したメンバーのひとり高知女子大学の名誉教授である、松崎淳子先生の自宅を訪ねることにしました。
すごく寒くて風の強い日の夕暮れ、約束の時間に遅れてしまった私・・。足は急ぐのですが、強風に押し返されながら先生の家にやっとの思いで着きました。 約束の時間は過ぎいてるは、強風で髪や服装は乱れいてるは・・・先生はどんなにか驚いたことでしょう。 なのに、やさしい笑顔で迎えて頂き温かいお茶まで入れてくれました。 大学の名誉教授ですから、厳しい感じの方かな~と思っていたのでその優しさ、しなやかさに救われた思いがしました。 なんとも、可愛らしいと言う言葉がピッたしのステキな女性です。お年はもう83歳とお聞きしました、私の祖母と同じです。 お互い親近感がわき、いつの間にか、約束の取材1時間が2時間にもなっていました・・・。
先生に「何をお知りにないたいの?」 と聞かれたので、先生たちが出したこの「土佐の食卓」という本のなかであとがきでも書かれている様々な「食から見えるSOS」について話して欲しいとお願いしました。
凄く貴重なお話を聞くことができました。
先生は、自然科学として食を分析してきたことから話されました。昭和40年ごろ以前は食が文化としてとらえられることなんてないし、科学的に観る観点も社会には無かったそうです。
そんな頃、加工食品・インスタント食品が出始めます。はじめはいい物だと思っていて、日清工場も見学に行ったりもしたそうです。
先生は子育てをしながら感じたのはカップ麺や加工食品は食卓をいらなくしていることだと言います。
それは、個人が別々に食べる事を可能にするからです。
加工食品もいいところばかりではない、これはおかしいと思われたそうです。
その後、加工食品やカップ麺は急成長を遂げます。昭和45年ごろになってやっと社会が「食」の問題を言い始めたそうです。その頃、高知新聞に食を問題にした学生の卒業論文が掲載されたと聞きます。
社会も目を向け始めた頃ではないでしょうか? 社会的には公害問題も大きくなっていく時期とリンクします。
便利と言うことで消える「食文化」
先生は、加工食品の急成長と子ども達の問題行動、犯罪が増えてきた時期が重なる点を指摘します。
当時から政府は食品、食材の輸入自由化を推し進めており、外食産業、加工食品も安全、栄養基準も今ほどになく政府、政治との関係も見えてきます。
先生は食の危機・SOSを感じ、背景について、興味深い資料を見せてくださいました。
それは2009年、農山漁村文化協会が出している本「ヴェスタ」Vestaに掲載されていた岩村陽子さんの「食卓は語る」というレポートです。
このレポートは「食卓は語る~家族の関係と価値観~」というテーマです。
①近年の家族の食卓実態について
調査結果がまとめられていますが、なんと12年間にわたり231世帯の5000以上の食卓を調査されたものです。
例①、夫43歳、妻36歳、子ども6歳の家庭では、朝:菓子パンと飲み物をバラバラの時間に食べる。理由:朝から用意するのはキツイので温めるだけのパンにしている。 昼:子どもを学校給食、夫、主婦はテイクアウトの弁当でお茶なし。理由:普段から昼を家で作ることはない。メニューにバリエーションのない店は飽きてしまう。
夜:家族で居酒屋へ行く。親はお酒を飲む。自分で作れないものを食べる。子どもはおにぎりなど食べる。子どもは店で寝てしまった。理由:会話をゆっくり楽しみたい。
お互いのペース好みが優先され、栄養バランスよりも好みや自由度が優先されている。そのことによって定着したパターンは、簡単に調理できる朝食。多様なメニューでテイクアウトできる加工食品。外食など。
例②夫32歳、妻36歳、子ども10歳と9歳 朝:妻コーヒーだけ。夫昨晩妻が作ったおにぎりを車で食べる。子ども達は食パンを焼いて食べるが野菜ジュースはあっても飲まない。理由:妻は子どもの頃から朝は食べれない。夫はギリギリまで寝たいから。子ども普段から自分たちで食べてる。
昼:夫は冷凍食品ばかり詰めたお弁当。母子は菓子パン。理由:菓子パンが食べたいと言うから。
夜:スーパーでお惣菜お選ぶ(カキフライ・ちくわ天)。プラスチック容器のまま食べる。野菜が無いことは機にしない。理由:お皿の洗い物を増やさないため。野菜は学校給食で食べているから。
子どもから抗議・・・ママはなぜ朝食を作らないのか? ママ・・・ご飯、味噌汁、おかずを作る。その時母親は「せっかく作ったんだから」と早起きと完食を強制する。 この事によって親も子もいやな気持ちになるのでそれなら、もういいとなる。 この家庭で欠かせ物は特売の冷凍食品。常備されている。子どもが自分でできる朝食用パン、簡易食品、各種できあいのお惣菜。学校給食。
2つの例を紹介しましたが、5000食、231世帯を調べたレポートでは、これは特異な例でないとされています。
家族の関係や価値観が表れてくるといいます。 家族が気持ちよく過ごしたいからと・・・・幼い子どもの好みや要求を聞く。食べたい時に食べたいものを・・。子どもが残すものは減少していく・・・。リクエスト制、自己申告型といい栄養バランスなども「出来るだけ」の範囲という価値観になっている。
背景にあるものは何か? 今の子育て世代の主婦が生まれたのはだいたい1960年以降で、先生いわく、ちょうど私の世代も含まれるようです。 その親(60代~70代)は子どもに嫌なものは強制しない環境にあったし、孫たちに対しても食事に関して強くは言わないケースは多いといいます。
クリスマス、正月でさえ4割の家族がバラバラに食べている(2000年、2005年)
先生は調査の現状から言えることは、個人の個々の問題ではなく社会問題と位置づけることが出来ると話されました。市場主義経済が生み出したゆがみではないでしょうか? 食べればいい、安けりゃ、便利でありさえすればいいという、経済のゆがみに食卓も変ってきたのだと・・。女性の社会進出という側面だけでは語れないといいます。
・・自分を振り返って・・
この点に関して私の育った家庭を振り返れば、うちの母親も父親も食事には厳しかった。加工食品を家では見たことがなく、おやつであってもお菓子はめったに食べれなかった。友達の家のおやつを楽しみにしていたほどで、友達より先に友達の家に行き、先におやつを食べていたこともあった。友達に怒られた(笑話)
缶ジュースも飲んだことが無かった。遠足の時もダメなのだ。 どうしても約束をやぶってでも飲みたいと思わす缶ジュースが現れました。それは「ファンタオレンジ」です。 親や妹に内緒でこそっり隠れて飲みました。口に入った瞬間、炭酸に驚いたのを覚えてます。 夏場のアイスは唯一食べてたお菓子ですかね。
おばあちゃんがいたので、おやつのお菓子も全部手作りですし、(お菓子といっても芋饅頭みたいなやつですが)近所の人が山ほど果物を持ってきてくれて、それがおやつになります・・・。・。
一度学校の帰り道、ハウスの中から甘~いイチゴの香りがするもので、どうしても食べたくなってランドセルのまま食べていると、ハウス農家のおじちゃんに「コラー!!」と怒られて大説教をくらったことがあります。「どうして食べたのか!」とおじさんが怒るので、「だってこのイチゴが一番美味しいき」と答えました。なんと次の日に家に山ほどのイチゴが届けられていました。聞くと、怒っていたハウス農家のおじさんが持ってきたといいます。その時、「愛ちゃんは、うちのイチゴが美味しいというてくれたき持ってきた」と話していたそうです。 お菓子よりおじちゃんのイチゴがうまいぜよ!当時の感想。 たまに、がんばった事があれば、外食に連れて行ってくれますが、チェックが厳しかったですね。カレーライスの福心漬はダメとか、野菜がおかわりできる店に行くとかでした。
親元を離れるまでそういう食生活でした。
当時はいつも、よその家と比べて文句ばっかり言っていましたが今、健康でいられるのも両親やおばあちゃん家族のおかげだと感謝しています。
今は私も母親ですからがんばらなくてはいけないのですが・・・。子どもの好みや簡単が優先になっている気がします。野菜が苦手な息子ですから困るのです。美味しくないといっては残しますから・・・。ここで親が踏ん張らないといけないですね。
先生のお話を聞いて改めて、がんばろうと思えました。
確かに、子どもの好き嫌いに甘いと思います。 私の母に息子を預けると息子は「おばあちゃんは怖い」といいます。食事や宿題とか私より厳しいらしいです。でも市場主義経済にどっぷり流されてしまうことのほうが、怖いことですからね。 親のがんばりどきと感じています。
またつづく・・・・です