自然エネルギーとゴールデンウイーク
原発事故から何を学ぶのか
3月11日の東北大震災によって福島原発は大量の放射能漏れを起こし、被害は日々深刻になっています。
水も飲めない、空気さえ吸えない。「想定外」という言葉で片づくわけがない。重大な人災です。
原子力の怖さを皆が痛感しています。先の3月市議会で日本共産党市議団が提出した「安全性の未確立な原発依存からエネルギー政策の抜本的見直しを求める」意見書が採択されました。
見直しの具体化は地方政治にも求められる事だと思います。
4月28日 愛媛新聞社説では「東日本大震災」伊方原発を考えるとあり、安全確保無理なら政策転換を訴えています。原発を抱える愛媛ではわが身に置き換え考え直すべきと。その責務は第一義的には四国電力にあると。
同日、尾崎高知県知事は「段階的原発から脱却。安全な新エネルギーをめざす」と記者会見しています。
3・11以前に戻ることはできないからこそ、責任のなすくりあい的議論ではなく将来に、命に責任をもった対応を住民は求めています。
エネルギー政策の見直し
原子力にかわる自然エネルギーには太陽・風・水・森林(バイオマス)があります。日照時間の長さも森林の多さも日本一の県です。どう活かすのか問われています。高知市も新たな総合計画ができ「環境」が大きな柱になっています。
市民が正しい情報を知る学習の場づくりや民間の取り組みへの補助制度の創設、企業評価などなど自然エネルギーへ転換しやすい政策が必要になっていると思います。
自然と共存
このゴールデンウイークに囲炉裏生活を少し体験してきました。
電気をほとんど使わない生活を。 薪をわり、ご飯をつくる。水をお湯にする。手間ひま、労力がかかることがよくわかりました。自然エネルギーで生活することは数十年前はどこでもあった、出来ていた生活。でも山から人がいなくなり、山は荒れ、生活が維持できなくなったと思う。山に若者が住み暮らせるような町づくり、政策はエネルギー政策の転換を考える上でも大事なことだと思いました。
戦後、植えられた人工林も間伐が十分出来ず、多くの山が崩壊寸前です。囲炉裏の家の近所で畑しごとをしていた70代の女性に「山がきれいですね」と言うと、手入れがされない人工林を指差し「私の好きな山やないなった。勝手なことはせられん。山は山、大事にせんといかんが・・」といいます。この村に生まれ、生きてきたおばあちゃんの言葉。
物価は上がったのに戦後の木材価格と現在の木材価格がほとんど変化がないといいます。山では食べていけない、生活できないのです。
ある本に書いていましたが、「安から品質もいいからと外国産材を輸入できても、いい森は輸入できない。」いい森は自分たちで育てていかなくてはならないのです。 安全で再生可能な自然エネルギーへの転換は原発問題だけでなく、森を育て、仕事をうみだすことにもなりますね。
事実、活断層の上に生きていく私たちにとって、地震や津浪を正しく理解し暮らしていかなくてはなりません。自然の中に生かされているのが人間。自然を単に儲けの対象や便利さのために犠牲にすることから、「共存」していくということこそ大事だと思っています。
自然と共存して人間が生きる。 囲炉裏を今日も思い出します。
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