自然に生きて
自然に生かされている私
秋風が心地よい季節に。北山の紅葉はページをめくる様に毎日、景色が変わっています。
久万川沿いも黄色いコスモスが風に揺られてダンスをしている様。親子連れ、ちいさい男の子がお母さんの手を離し、見つけた虫の名前をお父さんに聞いている日曜日。笑顔が生まれます。一方、福島原発の事故はふるさとに戻れない人々をつくり、放射能は日常の生活を奪った。いまだに親子バラバラの生活をしいられている子どもたち。収穫前の米を捨てる農家。出荷できないことが分かっていても毎日、牛の乳を絞り捨てる酪農家。耐えられません。二度と繰り返してはならない原発事故。エネルギー政策も「脱原発」の大きな転換期を迎えていますが、政府の取り組みは失速、再稼働の動きも、情けない思いです。高知には全国に誇れる山、川、海、太陽などかけがえのない自然の恵みが与えられています。自然に生かされているのが人間。自然を壊したり、儲けの対象にしてはならない。映画「風の谷のナウシカ」をもう一度、観たくなりました。
Comments
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。
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Posted by: noga | 2012.11.14 08:29 PM