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2017.01.31

2017 お餅つき大会

 「ヨイショ!」、地域の一体感をつくる
 

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 今年も新屋敷2丁目、JR円行寺口駅南の公園で
日本共産党北部地区の恒例行事、お餅つき大会が開かれました。
子ども40人を含め、約175人もの参加。その中には近隣の町内会の役員さん、交通安全指導員さん、学校や保育園の先生などの顔もありました。
 地域では要の皆さんが思想信条の枠を超えて地域の為、この一点で交流することができました。
世代を超えたふれあいは、誰もがなくてはならない存在だと『共同体感覚』を教えてくれました。
 お餅を買いに来た女性もいつもの間にかお手伝い。餅つきを見るはずで来た、おじいちゃんも杵をもつ。
子ども達のためにと昨年から地域のじいちゃん達は手づくりの子供用の杵を製作。
 自分の力でおもいっきりついたお餅は格別に美味しかった様です。


 若いパパ 「初めて、子どもの前でお餅つくよ」

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 お父さん達も気合が入ります。お母さんたちも横でカメラを手に掛け声。
一体感が溢れています。

 公園が生む協同   

 新図書館の西敷地の活用アンケート結果で広場として使いたいが第一位。
市はこの結果にきちんと応えるべきと思う。


元まぐろ漁師が子どもと語る

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 おんちゃん、魚が燃えゆで!
 小さい子が元漁師に、おそるおそる話しかけた。「これ何?」
太い声で「100円」と返る。
魚の種類を聞いたのに・・。
この子は、なぜか焼いた干し柿をもらっていた。普段ない漁師さんとの会話。どうだったかな?
(爆笑)


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2017.01.24

稀勢の里 横綱へ

 大相撲では稀勢の里が19年ぶりの日本人横綱として誕生した。
歓喜の声がここまで聞こえる様だ。大相撲が大好きな田舎の母は何度、国技館へ行ったことか。
 昨年、開かれた高知場所の祝賀会へも参加し力士達と交流した。
写真には大きい外国人力士達を両脇に、太い帯を締めた着物姿の母が写っている。
おかんの土俵入りか!「体型も負けてない、あんたも横綱やね~」と言うと「気持ちは負けんで」と豪快に返えす母。
 なぜか、外国人力士は肩身がせまいのだという。
日本の国技、大相撲の世界では外国人力士はプロレスでいう悪役なのだそうだ。
 母は「みんなのおかげで、日本の相撲も生きている、あなた達は素晴らしい」と励ましたと言う。   
地球儀、片手に大相撲みる囲炉裏の母を想像する。

 平和な国だからこそスポーツも文化も発展があると思う。
世界から愛される日本である為にはどの分野に置いても平和が重要。
紛争があってもエスカレートさせない、対話の努力と世界は仲間という認識、つまり「共同体感覚」が大事だと思う。

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「高知市平和の日」制定から来年30年

決議 「憲法の精神に基づき平和を継承する」

 高知市議会は昭和59年に「高知市非核平和都市宣言」を決議。5年後の平成元年3月には「高知市平和の日」を満場一致で決議しました。
8月6日を高知市「平和の日」とする決議文には『戦争放棄と恒久平和を希求する日本国憲法の精神にもとづき、平和を愛し人類共存を願う立場から国の平和と安全こそが地方自治の根本的条件である』とあり「非核平和都市宣言」の意義を活かし、一人ひとりが平和を考え大切にする意味、行動の一つとして「平和の日」を決議したと明記されています。今、憲法の平和の精神は政治に活かされているのかと怒りと疑問ばかりその上、改憲の事態に直面しています。


節目を前に「戦争」の真実を知る機会に

平和の日記念事業として自由民権記念館で毎年8月6日~15日まで展示や講演、映画、平和を語る会、戦争遺跡のフィールドワークなどが行なわれています。この事業は市民と市が協同で企画や運営を行うスタイルで、全国的にも珍しく高い評価がされてきました。
いつも参加者をどう増やすか、若い世代に伝わる様に中身をどうしていくか、議論はたえません。
感想文には、戦争を許さないとの意見、他にも「知らないことばかりでびっくりした」「祖父が戦争のテレビを見ながら泣いていた姿を思い出した」「社会科の教員です。自分自身の良い勉強になりました」「机上の空論ではなく実際のものとして、とらえることができた」など、百聞は一見にしかずの大事な声があります。
来年は市議会の決議から30年の節目、多くの方に市の平和の日記念事業を知っていただき、来年に向けても、盛り上げていきたいですね。

 戦争遺跡を国は売却する方針

               陸軍44連帯弾薬庫の遺跡保存を 

朝倉・高知大学の敷地に隣接する戦争遺跡を財務省は売却するとインターネットで公開、売却相手を募集しています。期日は2月6日まで。取り壊されてしまう恐れが出てきました。
現在、平和資料館草の家や歴史・文化財保存の活動をしてきた研究者の皆さんが行政に対して、歴史的な価値が高く保全するよう求めて署名や交渉を行なっています。ぜひ、ご協力を!
問題はここだけでなく、市は遺跡や文化財の保存面では場所確保なども不十分です。文化財が泣かされています。


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2017.01.19

 人間らしい働き方

今日は冷たい風がほほを刺す、帯屋町、柳町で30年以上続けてきたお店を閉めなければならないと相談があった。
お店へ走った「店を閉めても何も楽にはならない、生きがいを奪われる、まだ働きたいのに」と女性はうつむき訴える。
十分働ける人、働きたいと言っている人達から労働を奪っている社会と経済。
仕事があっても非正規や長時間労働、低賃金の蔓延で、ささやかな希望すら奪われる。
 働く中に生きがいや成長、幸せを感じられないのだ。今の経済、労働政策では先はない。
 人間にとって「働く」とはなんだろうか、エンゲルスは「労働が人間そのものを創造した」と書いている。
労働による、あらゆる生産性が人間たるゆえんで、人間社会と動物社会の違いを示すものだと。 
 しかし、今の労働から生まれているものは何か。
 真に「人間らしい働き方」改革が必要だ。 労働は協同でもある、そこから幸せを生む事になるのか、改革の中身を問いたい。

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2017.01.12

子ども食堂 夜の部 開催へ

共感と協同の輪広がる 子ども食堂

毎週水曜日・夕方4時~オープン 

 県下に広がる子ども食堂、昨年、立ち上がった「子ども食堂・こうち」の皆さんは月二回、お昼に開いています。こだかさカフェは第2日曜、万々商店街にある地域交流センターで、あたごカフェは第4日曜、コープ吉田店で。
 今年からは、念願だった夜の部も開くそうです。
場所は万々のこだかさカフェで夕方4時~7時、夕食をとれる様に準備中とのこと。1月は、11日と25日に開催
し、2月からは毎週水曜に開催予定。

  共働き世帯でも、料金が一人月8100円と高い、放課後児童クラブを利用できないといいます。
潜在的な放課後の待機児同は増える傾向です。
 また、放課後クラブが終わってもひとりで過ごす子ども達や公園でお菓子を食べて遅くまで過ごしている子達がいます。

 「温かいごはん、お腹いっぱい食べて!」

 子ども食堂こうち副代表の柳原さんは「お腹いっぱい温かいご飯を食べて欲しい。
学校が終わったら、ここへおいで!宿題も見てくれるよ。地域のおじいちゃん、達が遊んでくれるよ」
と話します。
 まさに、『子どもを社会で育てる』という取り組み。継続できる様、行政の姿勢、役割も問われています。

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→写真は鯛めしをのぞく、小学生たち

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→ 1月11日 夜の部 ごはんを大盛り!うれしそうな笑顔がありました。

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→1月11日 夜の部 20人を超す子ども達が参加!


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→1月11日 夜の部 募金箱ってなに?と聞かれ。 理解できたのか子ども達が大事なおこずかいを入れていました。


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沖縄 不屈の闘いに学ぶ

 『日本が初めて差し出す基地となる』 


 2016年6月、一通の手紙が沖縄に行くことを決意させた。
 米軍基地職員による女性殺害事件、 手紙は被害者と同じ年頃の娘を持つ沖縄の母からだった。
言葉にならない悲しみ『基地があるがゆえ』の怒りをつづっていた。
「真剣に国同士が基地問題に動き、なくして欲しい、本土(全国)の人達には米軍基地のある実態を正しく
知ってもらいたい」と書いていた。手紙の文字がにじんでいる。泣きながら書いたのだろう。同じ悲劇を二度と
生ませないと日本政府こそが、胸に刻むべきだと言いたい。

いてもたってもいられない! 昨年11月、沖縄へ初めて飛んだ。
晴天の那覇空港、出迎えたのは戦闘機の爆音だった。こんな理不尽な音でさえ日常化されているのだ。
右を見ても、左を見ても基地、どこまでも続くフェンスは自分が檻の中にいるように思わせてならない、米軍支配
の現実は想像をはるかに超えた。
20世紀最大の地獄、地上戦があった沖縄の歴史を知るためまず「ひめゆり平和祈念資料館」を訪ねた。
当時のままのガマ(壕)がある。ここで自決を強要され亡くなった幼い子や若者たちを想像して息が苦しかった。
一方、自然は違う。どこまでも広がる青空、一片の雲もない。紅のブーゲンビリア、透き通る海、貴重な生き物が
いるヤンバルの森も。こんなに美しく尊い土地がほかにあるだろうか。


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 辺野古新基地反対の座り込みが続く、米軍基地キャンプ・シュワブ。
公道には住民を排除するために設置された、尖った鉄板(拷問に使われるもの)が敷かれている。
鉄は鋭く体に食い込む、座れない様にしているのだ。みんなは「殺人鉄板」と呼ぶ。
それでも毎日、おにぎりを作り、少ない年金を交通費にあて、何時間も座り込む島人たち。
80代女性、島袋さんは機動隊ともみあいになり、何針が縫う怪我をしたが、次の日に出てきて、心配する仲間に
言う「70年前、火炎放射機でチリチリに焼かれた、だからこんなの傷じゃない」と。 
沖縄の米軍基地は銃剣を突きつけ住民から奪い取った土地なのだ。
 政府は「普天間のかわりだ」「負担軽減になる」と言うが嘘だ。座り込みを続けている女性は言う
「辺野古基地を許すことは日本が初めて差し出す基地となる」と。 恥ずかしさと怒りで全身が震えた。

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→ 座り込みを続ける皆さんと交流

 
 高江地区でのオスプレイのヘリパット建設


 座り込みに参加、高江の闘いは9年経つ。パトカーは工事車両を先導している、サングラスとマスクをした
不気味な機動隊が力ずくで住民を阻む。政府は機動隊に逮捕権を与え、座り込みを暴動として扱う。
 「土人発言」を起こしたこの土地に立ち、改めて人権を踏みつけにする権力の暴走を目の当たりにした。
同時に、屈しないと闘う島人の堂々たる姿と綺麗な眼差しが忘れられない。

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→ 危険な有刺鉄線が張り巡らせている

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→ 機動隊は隠しているが「殺人鉄板」


 

「不屈館」瀬長亀次郎さん


 血まみれの記憶、住民の4人にひとりが戦死した沖縄戦を生き抜き、米軍統治下の中で不屈に祖国復帰と
平和な社会の実現のために、民衆と共に闘いつづけた人、瀬長亀次郎さんの足跡を訪ね「不屈館」へ行った。
 瀬長さんは、新聞記者を経て、今の琉球新報「うるま新報」を1946年に立ち上げ、6年後、琉球政府の
立法院議員選挙に出て初当選するが、アメリカの強烈な弾圧を受け不当に逮捕される。
 その2年後、49歳で那覇市長選挙に当選する。またもや、米軍の命令で市長の座を剥奪される。
 闘い続け1970年には63歳で衆議院議員となり、日本共産党副委員長を務めた。

 市民は「我らが亀さん」と呼んだ。初当選後の1952年4月琉球大学で行なわれた琉球政府の創立式典で
米軍への忠誠を誓う宣誓の時、他の議員全員が脱帽し直立不動しているのに、「瀬長亀次郎さん」と呼ばれても
返事もせず、そのまま座り続けた。
 道理がある、ハーグ陸戦条約の「占領地の人民はこれを強制して、その敵国に対して忠誠の誓いをなさしむる
ことを得ず」つまり、アメリカへの忠誠は強制されないという約束があるからだ。
 恐れることはないと、アメリカに対し抵抗の意志を見せ付けた。
結果、アメリカが最も恐れる男となり弾圧の標的にされた。
 しかし、どんな時も亀さんは住民とともに闘ってきた。基地支配で苦しむ、住民を励まし続けた。
資料館の録音テープから聞こえる演説、心に残る一節がある。
 校庭に湧き出るように集まってくる民衆を前に「瀬長一人が叫んだならば50メートル先まで聞こえます・・。
沖縄70万人民が叫んだならば太平洋の荒波を超えてワシントン政府を動かす事ができます」と。
 また、現在にも通じる言葉がある「民衆のにくしみに包囲された軍事基地の価値は0に等しい」不屈と書かれた色紙と共に。ひるむことのない闘志を感じた。
 日本政府とアメリカ、二つの大国を相手に、沖縄は屈しないと闘う翁長県知事の姿が重なった。
 どんな時も「住民とともに」この姿勢こそ、不屈と団結の鍵であることを学んだ。
戦争を許さない憲法が輝く社会を住民と共に作っていきたいと、勇気と元気をもらう旅でした。
 
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2017.01.05

2017 明けましておめでとうございます!

みなさま、今年もよろしくお願いします。

今年は酉年、野党協同のウイング広げ、羽ばたく一年を目指したいです。


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