6月市議会 道徳教育について
3、道徳教育モデル事業について
問題点 ① 道徳教育の中身は憲法19条が禁止する「思想の告白」にあたる
市民道徳を否定している立場ではなく、安倍政権の下、行なわれる道徳の教科化について質問した。「道徳心」とは、憲法19条の内心にあたると思うが、道徳の教科化の中でどう保障されているかを教育長に聞く、答弁は「教師が特定の価値観を児童生徒に押し付けたりしてはならないと学習指導要領に示されているから、憲法19条が侵されることにはならないと考える」と答えた。
憲法19条には思想・良心の自由をどう保障するか、大きく3つのことを禁止している。まず1つには、国が特定の思想を強制し推奨することは禁止。2つには、国が特定の思想を有すること、また有しないことで刑罰やその他の不利益を加えてはならない。3つには、国が内心の思想を強制的に告白させることや何らかの手段によって知ることを禁止し、沈黙の自由を保障している。
答弁は「特定の価値観の押し付け」この点について指導要領で禁止しているから、憲法19条の内心は守られていると言うが、憲法19条は3つの禁止により成立っており、上記で紹介した3つ目の思想の告白、他人が知ることもダメだとしている点から言うと、道徳の教科書は、いちいち内心の告白を求めている。一年生の道徳教科書54ページの「かぼちゃのつる」」や6年生の64ページ「手品師」内心を告白させ、結果は通知表の評価の対象となる。
問題点 ② 自尊感情の数値化は道徳教科化推進のテコ
自尊感情が評価の対象とされ、数値化されている問題について、平成28年29年の2年間モデル事業として市内3校で道徳教育が行われている。その検証報告が出されているが、3校の内1校では自尊感情が下がったという学校も確認されたが、市教委の答弁にある様に「人間を育成する上で、現行の道徳教育は重要な役割をもっている」と、自尊感情を数値化することが結果的に道徳の教科化推進のテコにされている。
学校現場では道徳評価を数値化しないとしているが、検証報告では数値化されている。児童・生徒は検証のためのアンケート調査を受け、自尊感情について自己評価をするが、こどもの自己評価は集団の中で自分の考えが多数であるか、また受け入れられなければ、低くなるのは当たり前の心理作用である。つまり、自己評価による自尊感情は所属する集団の影響を大きくうけると思う。だから、上がる下がるが問題ではない。自尊感情が高まるために必要なことは、すでに明らかであり、それを日常の学校生活の中で実践していく環境づくりこそ、必要なことではないだろうか。
例えば、自分たちが直面している問題を解決する学級活動や子ども自身が話し合い、つくりあげていく行事など、自治的活動。民主主義や人権の尊重の為には、憲法や子どもの権利条約についての学習。勤労の精神を養うには、労働基準法などを学んでこそ、生きたものになると思う。そして、侵略戦争の歴史を学び、その反省にたってこそ、本当に国を愛し、他国の人びとと連帯し、平和を守る精神を子ども達がはぐくむことができるのではないでしょうか。
問題点 ③ あべ政権の道徳教育に無批判の市教委
道徳は人それぞれであり、自分の価値観と他の人の価値観が違うのは、ふつうなこと。その多様性こそ尊重されることが大事と思うが、1年生の「かぼちゃのつる」は人の言う事をきかないと痛い目にあることを伝えている。他を見ても、どんなルールや約束でも守るもの、でなければ罰はあたりまえという事を教えるというのは、本来の道徳的な考えではなく、命令服従を植えつけることにしかならないと思う。
問題ある道徳教育に対し、何の問題も感じないのかと聞くが、国の方針に基づく道徳教育は重要な役割と繰り返すだけで、指摘してきた問題も無視した答弁に終わった。
あべ政権の下で道徳を教科化することがいかにおかしく、危険なのか、改めて考える必要があると思う。政治家トップ達が森友・加計問題にある様に、あったものを無かった事にする、公文書の改ざんや隠蔽。元文科省の事務次官から「行政が歪められている」と告発を受けても、事実が確認されても、謝罪もしない、処分されるのは部下ばかり。この様な内閣に子ども達に善悪を教える道徳を教科化する資格はないと思うが。
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