7月4日 高知空襲を思う
雨が降る季節、7月4日は何の日でしょうか。
若者の多くが知らない時代となったが75年前に高知空襲があった日。B-29が125機も高知市上空に来た。深夜2時前から1時間以上もの間に1060トン超すナパーム弾、通称「焼夷弾」投下した。人間が焼ける、高知の街は火の海、血の海になった。家族を失った涙は今も続いている。大原町には高知空襲の慰霊碑がある。今年現在で433名の犠牲者が記録されているが、実際の犠牲者はもっと多い。慰霊碑に記されてない申請者は282名も存在する。その内、判別が出来きている方は22名いるという。長い月日が経ち、最近は新たな申請はほぼ無いとの事だが、だからこそ申請され判別できている22名の方はせめて犠牲者として認め、慰霊碑に刻んで欲しい。判別できているのに犠牲者名簿に登載できない理由は何かと聞くと「名前が苗字しかない」など個人を特定できないからと。さらに判別も出来ない残り260名も申請した家族の追悼の意を思えば、何とか尊重できないのだろうか。市の積極的な姿勢は歴史からも問われている。
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