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2020.09.16

日曜市物語

「日曜市物語」を読む

作者は高知県の児童文学の先駆者で有名な窪田善太郎さん(大正3年生まれ)。
昭和60年代に出版された本だが、当時の子ども達の視点から人々の日常やお城下の風景、日曜市の姿がありのまま描かれ、ケラケラと笑ってしまう。私は土佐弁の面白さと懐かしさに不思議と心が癒された。
「名物のスリ」話では、当時の日曜市に本物のバナナの叩き売りがあって、ねじり鉢巻きの若い人が机をパンパン叩いて「この蓬来島(台湾)産のうまいバナナを買わんとは高知の人は、ばかか、あほうか!明治維新の勤皇の志士、坂本龍馬先生や武市半平太先生が地下で泣きよるぜよ!さー買った!買った!」と啖呵をきる。見たいと集まった人をスリが狙う、そしてふん装して追いかける警官の方が人相が悪い。怖さも含め社会の渦を体験する少年、隣でお父さんは「ぼけきって、見とれちょって後で、あっしもうたということよのう」「まっこと物騒なのうし」と。
土佐弁から自分のじいちゃんを思い出した。
「日曜市物語」窪田善太郎さんの本、土佐弁の面白さ、街の変化が今に通じているという感覚、自分の小さい時を思い出した。
今のような放課後児童クラブがない時代、近所の異年齢の子ども同士で、よく外で遊んだ。
ドッジボールや秘密基地づくり、大きい子にはハンデをつけて小さい子も日が暮れるまで一緒に汗を流した。「くろーなったき、もう帰ろうやー」年上のお姉ちゃんが「あいちゃん、明日もきいよー」と。
家に帰ると、ばーちゃんが、栗の皮をはぎながら「もうご飯ぞね、まっこと、何しよったぞね」と。
心配をよそに私はじーちゃんとチャンネル争いをする、これが日課だった。時代劇「大岡越前」「おしん」が好きな、じいちゃんの亡くなる前の言葉は「あいこよ、おおきに」家族みんなにも「おうきに」と言うて息が止まった。なぜか、私は「あいこ」と呼ばれ続けていた。方言は大事な記憶を刺激する。

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