市議として最後あいさつ
質問のあと、あいさつしました。
市議として最後の質問となりました、一言挨拶をさせて頂きたいと思います。
5期20年間、どんな時も支え、導いて下さった市民の皆さん、そして市職員の皆さんや同僚議員の皆さんに、心から感謝を申し上げます。
2003年に27歳で市議に初当選しました。自分の人生に「議員」という世界があるとは想像もしていませんでしたが、バブル崩壊後に社会に出た就職氷河期組の一人として、低賃金で働く同世代の痛みがわかる市議として役に立ちたいと決意したスタートでした。
また子育てや女性の立場がわかる住民の代表として、安心して暮らせる高知市をと頑張ってきました。
この20年間というのは「新自由主義」のもとで弱肉強食の経済、自治体では合併が進み、国民には自己責任という名の社会保障費の切り捨てが行われてきました。そして、効率化優先の大規模な行革が高知市でも行われ、官から民へという流れが非正規労働を激増させました。結果として、公共性の意義や政策をつくる上での必要な専門性が失われる事態をつくっています。コロナの前から経済は落ち込んだまま、実質賃金も上がらず市民の暮らしは厳しさを増した20年ではなかったでしょうか。
執行部との論戦では、怒りをぶつけた事の多い議員だっと思いますが、真剣な答弁をありがとうございました。何度か涙が流れたこともありましたが、質問のひとつ、ひとつに市民の顔が浮かびます。
忘れられない一つに中学校給食の実現があります。1万3千筆を超える署名が集められ、その時、凄い宝物を見つけたと思いました。それは「市民こそが政治を動かす力」をもっているという事実を見たからです。そして、市民のくらしや商売の実態を知るため、色んな現場を訪ねさせて頂きました。
農家さんを訪ねると「一度、田んぼを止めたら、もう元には戻せん、じいさんが残してくれた田んぼで必死に作りゆうけど、国は輸入米をやめんと、農家には減反を言うて来る」と、今の農政の酷さ、理不尽さが浮き彫りになりました。
また毎日、暑い時も寒い時も、雨が降っても毎日、郵便配達をする郵便局の非正規の若者たちは「同じ仕事しても賃金は正規より安いし、それやにボーナスは10万しかない、国民年金も払えんし、結婚らーできんで」と話し、今、格差解消の裁判に立ち上がっていますが、少子化の原因を浮き彫りにします。
市民の声のどれもが、政治や行政がすべき仕事とは何かを教えてくれました。
単純に見えるかもしれませんが「地域を回り、話を聞き、議会に届ける」この活動が大好きです、これが私の原点だと誇りに思っています。
私自身が尊敬する政治家の一人がコロナの中で政界を引退しました。南米ウルグアイの元大統領のホセムヒカ氏です。引退の記者会見で「議員の仕事は人と話し、どこへでも足を運ぶことだ」と言いました。また若者に伝えたいことは「人生で成功するということは人を負かすことではない。倒れるたびに起き上がるということだ」と話しました。私はこの先も、市民の皆さんと一緒に何度でも起き上がり、前へ前へと社会をよくする方へ進んで行きたいと思います。
今日の質問が市議として最後となりますが、必ずや新しいステージに立ち、これまで見てきた現場の実態、市民の願いを届け、元気に働きたいと思います。 お会いした、すべてのみなさんに心から感謝を申し上げまして、すべての質問を終わります。
ありがとうございました。