2025.01.26

物価高騰の中で・・

 物価高騰は止まらず。脳梗塞で不自由になった左手をさすりながら70代女性は、「必死に買い物に行ったら『七草がゆセット』が650円以上、高くて諦めた」と訴える。今やキャベツ一個がなんと500円の時もあったがスーパー行くのが恐ろしいと、みんなが話す。
 19日からはガソリン代の大幅値上げ。保育園の送り迎えをする、あるパパさんは「やってられません!」と。
スタンドの方に聞く「値段が下がる見込みはありますか?」店員さんは、「全くわからない、上がるかもしれないし・・」と話す。怒りの声が街中に渦巻いている中、ある若者グループは給与はまともに上がらず物価だけはうなぎ上り。「生活がヤバい!」と発起し、農地を借りて、自分たちで野菜を育て食べていけるようにと動き始めた。小雨の中、潰されてたまるかと大地の上で両手を広げる彼らの姿が静かな集落を明るくしてくれる。

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お正月

山の峰、初日の出に手を合わせ、深く息を吐いた。家族や地域の仲間たちの健康や商売繁盛を願う。
まだ願いがある、平和こそ世界の原点という思い。ロシアのウクライナ侵略が続く一方で、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことは鮮烈な光、希望だ。「核兵器は人類と共存できない」と80年近くに渡る訴えと行動が世界共通の認識に。同時に戦争準備予算を2倍にした自民党政治の非情さは際立って見える。石破首相は核兵器について非人道性を認める発言をしながら、核兵器を使うぞと脅す「核抑止論」を主張。  
核禁止や戦争反対は、党派や宗教の違いさえ超えて多くの国の人々が一致する願いだが国政は危険な逆行をしている。今年も「武器を買うお金があれば暮らしに予算を」合言葉に7月参議院選挙で白川比例候補当選へ力に力を合わせたい。

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2024.12.06

自然を壊す大規模風力開発

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アンパンマンの里、香北町と大豊町の境に民間企業による大規模な風力発電計画が浮上している。
4,300kw×36基の風力を設置し電力へ電気を売る事業案だが、住民から「ちょっと待った!」がかかった。山の支流に沿った棚田や家、香北住民にとって大事な水源地なのだ。さらにブナの森や天然記念物クマタカの生息地、平家の落人伝説の里として古来より住民が大事にしてきた場所だという。香美市議会には開発ストップの請願も出ている。原発に頼らない自然エネルギーへの転換は重要だが、大規模開発で自然や人間生活を苦しめる必要はない。儲けを最優先すると、いつも大規模化になる。今一番の問題は、計画を知らない住民が多いこと。住民の納得や合意が尊重されるべきではないのか。1月中には知事の意見書が出るが住民は注目している。


 

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2024.11.20

岡豊高校同窓会

小雨の城西館に再会を喜ぶ歓声!岡豊高校8期生の同窓会、懐かし顔が集まる。
セーラー服で司会する同級生に笑う。31年前は、スマホが無かった時代。
わからないことを教えてくれたのは、AIやネットではなく、汗だくの同級生や先生たちだった。
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部活は素人から始めた柔道、その柔道が大好きで、でもヘタクソで、泣きながら練習をしていた記憶がよみがえる。
スポーツや勉強で困った時、出来るまで待ってくれ、信じ、励ましてくれたのが岡豊高校の仲間だった。
テーブルを囲み変わっていない会話が嬉しかった。一方で、私は凄く変わったそうだ。
見た目が「女っぽくなった」と口々に言われた。はぁ?と思うが、高校生の頃の髪型と服装がありえないほど奇抜だったからだ。
男子も泣く角刈り。でも先生は怒らなかった。柔道で思い出す言葉は「大事な時は、さがるな」。
この言葉は今も私に自分らしく進む勇気をくれる。
すべてに感謝したい。寛藤先生、藤岡先生元気かな。

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ヤマガラと自分

野鳥のヤマガラ君が、ひざの上でひまわりの種をくわえる。今度は手のひらで首をかしげて私を見ている。段々と距離がちぢまる。緊張から優しい気持ちに変わる感じがした。人間同士の関係性も同じ、押さえつけ様とすると逃げるのは、動物の危機回避本能だろう。政治でいえば、自民党は数の力で強権的な態度をとってきた。まともな審議もせず数の力で通す、裏金もやりたい放題、この姿勢に審判が下った。
 伸びた野党はどう動くのか、注目をされている。賃金も年金も物価高騰に追いつかない目減りしている、この30年以上におよぶ停滞した日本はどうなるのか。11月、とさでん交通は電車の運賃を値上げ、不登校も増加し続けている。老いも若きも、不安と息苦しさ感じる社会に国民が望む「解放感」を野党は創れるのか。違いがある野党同士であっても、山あいで共に生きるヤマガラと人間の様に、尊重しあえる空気を広げたい。私の姿勢も問われている。

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2024.10.07

白熱「一問一答」振り返る 

風が通る秋、あぜ道にしゃがみ込んで彼岸花を摘む、農家のおばちゃんが「気をつけて帰りよ」と言う。
子どもの頃、おやつは近所の農家さんがくれた、
サツマイモや柿。暑い日も寒い日も、畑仕事をしている。この労働によって、人類は生きているのだ。
 土佐市の産廃問題は、地域の農業を壊すかもしれない。なぜ、農用地の真ん中に住民が知らないままに建設されたのか。住民無視はダメと県は、指導要綱を作ったが守っていないのに「違法でない」と県も事業者も論点をずらす。産廃事業も人間生活になくてはならない産業であるが、一方の農業がリスクを負う。
「こんな不公平な状況をいいと思いますか」と知事に問う、「一般論としてある」と言うだけで産業同士が対立し苦しむことへ理解を示さず答弁を逃げた。 岩戸米生産者の声を紹介した「突然できた煙突に驚いた。僕たち今農家は苦しい中でやりゆうけど、消費者に見切りをつけられる、あの目に見えん怖さというのはいつも感じております。」と。

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介護士の涙

 ポロシャツの女性が「もう限界」「現場を知って」と訴える。訪問ヘルパーを長年務めてきた、女性は自殺未遂をした。ハラスメントの日々、人手不足の苦しみ、いい介護は出来ないと語る。ヘルパーさんが介護の未来を憂い、自殺を考えなければならない日本。
ありえない!介護報酬は引き下がり、一方で料金は上がり続ける。ついに町から介護事業所が無くなっていく時代に。この国はどこまで生活の土台、介護を壊し、お年寄りや中山間地域を追い込むのか。
この流れを変えるのが、今度の総選挙。自民党は、党のトップを変える動き。しかし、裏金事件が問題になっているのに、どの候補も企業・団体献金を禁止するとは言わず、「所得倍増」や「選択的夫婦別姓」などを新しい政策の様に言う。国民は見抜いている。
なぜ、与党は進まないのか、反省のない政権は交代しかない。国民の期待は、野党の本気の団結だが・・。
介護現場の涙も、笑顔に変わる日を目指して。

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ゆる~い 防災クラブ 誕生

= 顔の見える関係をつくろう =
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介護施設と住民がコラボ
先日、誰でも参加できる防災クラブが小高坂地域の中にできました。
名称は「さざなみ防災クラブ」、代表者は地元の30代青年実業家、事務局には介護施設職員が参加しています。
トイレ、段ボールベッド体験
第1回目の取組は高知市・地域防災推進課さんに来てもらい、段ボールベッドや簡易トイレの設置について学び、作り方も皆で体験しました。

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がんばる中山間!

県内中山間へ視察


 


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梼原町長は「牛を飼い、山で暮らせるモデルを作りたい」と。津野町長は「山焼きの人手が不足、天狗高原の管理も大変」と苦労を語る。
先日、県議会で視察に行くが、どの地域も町単独では成り立たない。県や国の役割が問われていると痛感した。帰る道、四万十町出身の女性からメールが来た、80代の父がお米を作っているがもう限界だと。
 彼女は稲刈りの手伝いに帰るたび、先祖から繋いできた田んぼがまた減り、雑草に埋もれていくと言う。
継ぎたい気持ちはあるが、決断できない。一人では厳しい世界で、助け合う人も減っている現実。追い打ちをかける様に県は今年の4月から親元で就農する50歳~64歳への支援を打ち切った。中山間に移住するハードルが一段と高くなったのだ。
50代は働き盛り、宝の存在、県が足を引っ張る様な事は、やめて欲しい。


 

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2024.08.30

92歳の夏を生きる

 92歳の夏、人生を語る。地域を回る中で妻を亡くした、おじいさんに合う。
 手すりを握り、少しずつ玄関にたどり着く。出てきてくれただけで感謝しかないが、「あんたに言わんといかん、今は戦前のようになっちゅう」と震える手で港の軍事利用はダメと署名をしてくれた。少年は1945年8月15日、ラジオから戦争の終わりを聞く。
「やっと戦争が終わる、これから良くなると思うた。けんど、あの時の気持ちを忘れたようやのう」と振り返る。
戦争が始まるころ小学校では、戦争万歳を習い、「連帯責任」の植付けなのか、なにか問題を起こすと生徒全員が向き合って並ばされ、お互いの鼻や耳をひねろと先生に命令される。「友達にそんなことができるか、まっこと学校が嫌やった」と言う。
 集落で変わり者と言われた父と母は、少年をかばう。父は「戦争して何がよくなるか!」と話していたと言う。戦争中は嫌われ、中学校にも行けなかった。戦後に遅れて高校へ、自衛隊にも入って免許を取って全国の建築現場で働いてきた。忘れてはならない歴史がある。

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